「やせうま」は、乳母八瀬からのおくりもの
豊後の国大分には、次のような伝説があります。
平安朝の頃、京都の御所で育っていた藤原鶴清麿という幼君が大友家を頼り、黒野(古野)の御所之森(古野下原)に隠居しました。幼君に仕える八瀬という乳母が不自由な暮らしの中で幼君におやつをせがまれるたびに、小麦粉をこね、長く伸ばし、ゆで、きな粉をまぶして差し上げて喜ばれて居たと言う事です。
幼君の「八瀬・うま(いもの)」が欲しいと云う言葉がそのまゝ「やせうま」になりました。
信心深かった八瀬の建てた経塚は今も古野にあり、近くの妙蓮寺では、盂蘭盆会の日には「やせうま供養」が営まれております。